風景論-5-

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<内なる風景-3->
今日は2017年3月6日という日付です。
ここに掲載した写真は嵯峨天皇陵の正面から撮ったものです。
すでに撮った日時は過去になったことです。
時間という意識の区切りは、ひとの記憶を司ります。
ところが内なる風景というとき、この時間がランダムになります。
一年前の2016年3月6日という日の記憶は、一枚の写真で記憶が呼び覚まされます。
ここには掲載しませんが、日付がはいった写真でした。
その写真を撮ったときのことを思いだします。
お別れした日の、そのあとの、傷心をとどめようとした記憶がよみがえります。
連鎖的にそのことが起こった日のこと、そこに至った日々のことを思いだします。
内なる風景は、記憶だから自分には幻影で見える風景ですが、写真のように定着しません。
写真が内なる風景の定着であろうとするなら、それは、どうすれば、そうなるのか。
内なる風景と表現された風景は、乖離しているわけですが、そこに美が介在するのかも。

posted by nakagawa at 18:11Comment(0)風景論