自伝-2-

120scan1511120072.JPG
-2-
 自分の考え方というか価値の基準というか、それの作られてきた背景を考えることがままありました。いまも自分の生い立ちのなかに、なにが潜んでいて、なにが蓄積されていて、いまのモノの捉え方になっているのだろう。なんてことを考えるんですが、かなり曖昧ですね。でも、歴史とかを学んできたことから、自分では戦後史の枠を想定する中で、ひとりの男がいろいろな活動に関わる、それが自分だ、なんて思うわけです。いわば実録とかいうけれど、フィクションじゃないですか。そのフィクションを持つことによって自分は生きているのだという確証をえているみたいです。内面の時代とか世間で言われているかどうかはわからないですが、ぼくは内面の時代がやってきたているんだ、と思っています。自分を語るということが自分のテーマになるというのが、まさに内面の時代がそこにあるということではないか、と思うのです。

 生まれは昭和21年、西暦1946年です。歴史としてぼくが生まれる前年に第二次世界大戦が終わり、日本は無条件降伏となったわけで、その翌年に生まれたぼくは、完全なる戦後派だと思えるのです。こんなところから書きだせば大河ドラマの台本になってしまうので、簡単にまとめるけれど、産まれた場所は京都の西陣地区です。西陣織の機業地で、向こう三軒両隣、織物に関係する職業のひとばかりの地域です。いいかたがわからないのですが、生活の底辺をいきる人々の群れ、みたいなイメージで、ぼくはイメージしてしまいます。美しくないですよ、京都を描く物語や映像は、それは美的に表現されるけれど、現実、実体験としては、暗くてじめじめしていて黴臭い、遠い思い出の光景は、そのように思えて仕方がないのです。それは感情を伴ってくるから、けっこうやるせないです。地の底なんていいかたでいいんでしょうか、京都の盆地の底に渦巻く生活者の群れ、です。地獄絵の餓鬼道みたいな閻魔から見たら下の方、地獄イメージです。

 父の母は織子です。手機でばったんばったんと織っていた。家の作りが機屋つくりで、家屋ごと織機となる中二階つくりの四軒長屋の一区切りです。そうです、産まれたのは父の実家の西陣ですが、物心つく頃は、壬生にいてました。小学校に入学するとき、産まれた家がある、今も住んでいる、その地に移住してきたのです。覚えています。おぼろげに、いくつかの光景をおぼえています。小学校の高学年になってくると、かなり記憶が鮮明になってきます。地域柄、共産党が強い地域、たぶん、いまでもそうなのかどうなのかわからないけれど、その当時には政治的には権力に刃向かう立場になる人が多かったんじゃないか、と思います。それと在日朝鮮人の人たちが集団で住んでいた区域が、小学校区のなかにありました、と言ってよいと思います。つまり、ぼくは、風土的に反体制、それも過激派ではなくて、穏健派とでもいえばいいのかも、小学校のころだから12歳くらいまでに、そういう資質が植えられてきたのではないかと思えます。
posted by nakagawa at 16:38Comment(0)自伝