芸術のはなし-3-

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目覚めに、無性にバッハのミサ曲のイメージ音が頭の中を巡ってきたので、パソコンのなかに保管してあるバッハのミサ曲をクリックして聴きだしたところです。
す~と気持ちが落ち着くというか、こころが昇華していく感じがしています。
どうしてなのだろうか、バッハのミサ曲、Mass in B minor と書かれているのが見えます。
女性のコーラスと独唱、ソプラノとか、バックはバイオリンでしょうか、かけあい、輪唱とゆうのでしょうか。
音の連なり、それ、ミサ曲、この音楽を聴きながら、いま、この手記を書いています。
少し、気持ちが落ち着いてきた気がします。
心を下から支えてくれている感じがして、あの絵の中のピエタの像にむけて祈る人のイメージが浮かんできます。

昨日の光景がよみがえってきます。
具体的な場所の記述やそこにいらした人のイメージの記述はしません。
いくつもの、善意に満ちた人との接触が、その顔が、表情が、脳裏によみがえってきます。
原野にたった自分の、裸の心を、包んでくれるような目の前の人の表情が、思いだされてくるのです。
そのころ、それぞれのそのころ、ラスコーの、アルタミラの、洞窟に痕跡を残した人の心は、これだろう。
絵を描く、音を連ねる、文を書く。
それぞれに道具を使って、心の痕跡を、自覚、無自覚を問わずに、残したのではないか。
ミサ曲を聴きながら、これには、バッハの心がベースで、形式としての声楽がある。
声楽を囲む楽器があり、たぶんナマでは聖堂、教会の場で、奏でられたのでしょう。
いま、それらの場を、パソコンが再現してくれて、目の前には黒いキーボードがある。
音だけで、映像イメージはないけれど、テレビやステージで類似の場面を見たことがある。
その見たことがあるイメージが思い起こされてきて、いま、男子と女子がかけあっている光景がわかります。

支えられているんだな、と、つくづく思えてきます。
裸形の自分が衣装をまとうように、心にも衣装をまとっているのがわかります。
幾重にもまとっている人の善意、物の手触り、それらに支えられて自分がいるということ。
死とは、それらがすべてなくなること、それが自覚というなら、自覚がなくなること。
ひとはそれを門出、首途、出発だといいます。
芸術について書こうとして、そのイメージを紡ぎ出しているのが、いまこのとき、わかります。
いろいろなアイテムがあり、それらに囲まれて、享受する。
その心をつむぎだすもの、そのことが芸術という容態ないかもしれない。
写真は、自分たちの門出の記憶を、閉じ込めた一枚。





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