取材日記180505

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今日の起点は、きぬかけの道、衣笠山の南麓からスマホを取り出し撮影をはじめました。
正面に衣笠山、右に堂本印象美術館、左に立命館大学、写真の地点です。
このまえには、なか卯でかつ丼を食べています。
衣笠山、昔、葬送の場で、死者を布でくるんだところから、きぬかけとの名がついた。
衣笠山の麓を北に道をとっていこうと思って、少し戻り、馬代通りになるのか、北へ。
中学のときの通学路、そのまま金閣寺の裏へ出て、氷室というところ。

身代り不動尊と案内があって、学校のグランドの周囲を回って、拝み所へ。
学校のグランドは、かって氷室の池でしたが、いつのころか埋め立てられています。
不動尊のあるところは、小学生の時に祖母たちに連れられて行った祠です。
拝み屋さんのおばさんがいて、呪文を唱えて、えい、やあ、とやるわけです。
そんな記憶がよみがえってくる場所、夏、夕立、凄い雨で、大音響で雷が落ちた記憶。
まだ細々と、だれかが、掃除したり、水を変えたりされている風にも見えました。

戻って金閣寺の前を通って、そのまま山の麓の道を北上していきました。
途中に三条天皇陵があり、写真にし、鏡石まで行って、一条・三条天皇火葬陵。
ここでストップ、かなり足が疲れて、このまま前進だとすると千束まで、です。
そう、たどってきた道は、丹後へ抜ける長坂口に至る道そのもの、今朝、分かった。
京都北物語の西側ルートですが、洛中洛外だと洛外になるから、ちょっと論外かな。
四つのルートを辿ってみて、まだ足りない、舟山の麓にも寺があるので、これは次だ。

posted by tansui at 17:08Comment(0)日記

取材日記180504

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結局のところ、千本えんま堂の狂言を少しだけ見て、写真に撮りました。
5月1日から始まっていて、4日の今日までですが、行かないでおこうと決めていたんです。
ところで、今日は、千本通りを上立売から北へ辿っていこう思って、そのようにするなかでした。
この地域は蓮台野と呼んでいて、登坂になっていて蓮の台の様子に見立てての、蓮台野です。
死体の捨て場というか、死者を野晒しにする場所だったというのです。

京には、東に鳥辺野、西に化野、北に蓮台野、と三つの死者を葬る場所があったというのです。
千本通りは京の都のメインストリートで、大極殿の北に延びる道、一条を越えると野辺。
千本通りの千本という名の由来が、卒塔婆が千本立てられていたからだというのです。
釘抜地蔵の上立売から鞍馬口の閻魔堂を越えていくと坂道になります。
船岡山の西裾で、その船岡山を越えるあたりから蓮台野というのだろうか。

上品蓮台寺を越えて、今、千本北大路を上がっていったあたりが死体棄て場ではないか。
今、佛教大学がある場所で、そのまま北に突き当たると、鷹峯という処に行きます。
鷹峯からは京見峠を越えて、日本海に通じる街道です。
目的は、光悦寺を写真に撮ることで、京都北物語の縦の点と線をつなごうと思うのでした。
これで三回、点と線をつないで、歩いたところです。

上賀茂神社から南へ櫟谷七野神社へ至った1回目、2回目は船岡山から東に本法寺まで。
三回目の今日は、千本通りを鷹峯まで北へのぼっていくことでした。
四回目があるとすれば、船岡山から西方向へ、金閣寺、衣笠山、竜安寺、ということかも。
北野天満宮を基点に、京都を捉えていた視点から、位相がだいぶんずれてきた感です。
北野天満宮からは市中を見ていたけれど、船岡山からは北山文化を見据えていく感じです。


posted by tansui at 17:11Comment(0)日記

日記180305

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今日は朝から雨降り、出かけようかと思ったらまた降りだしました。
遡っていこう、昨日の事から。
昨日は、奈良の三輪山のふもとへ、文字さんに連れてってもらいました。
その前は、下鴨神社の糺の森で開催のもりの手づくり市へ行きました。
その前の日は、釜ヶ崎の座り込み現場へ、行きました。
その前の日には、アマノコーヒーロースターズさんのお店へ行きました。
つまり3月1日から3月4日まで、行き先を遡って羅列してみました。
それぞれに目的があって、目的を実現していくプロセスとして、一日がある。
そんな感じで、目的志向で、日々の行動を価値あるものとしているところです。
そう、価値あるものを形成するため以外は、無駄な気がして、嫌な気分になります。
でも、これは、目的志向で、決していいことだとは思っていないのですが、です。
目的がないと、なにしているのかわからなくなってしまうので、目的をつくります。

負けてたまるか、という気持ちがあるから、負けてたまるか、の企画を創る。
だれよりも、どこよりも、いい企画だと自画自賛しています。
それでないと、やってられないから、自画自賛するわけです。
しかし、でも、なぁ、というところで、人はそれらを無視するから、落ち込むのです。
前向きが三割、後向きが七割、気持ち的には、今日は、そんなくらいの配分です。
そんなときは、なにもかもがマイナーな方へ向いてしまうんですね。
停止か、止めるか、なんてことで、前向き、上向き、なんてことはないです。
極彩秘宝館への誘いがあって、ニューシュールリアリズムだと思って、参加します。
いにしえ巡りと内面探り、表面は極彩にして、次の領域へと行きたいわけです。
採用した写真は、下鴨神社の相生社ですが、ここは縁結びの神さまが祀ってある。
縁結びというのは、男と女が結びつくことで、その結びつきを「縁」という。

どうしたわけか生命を創り出す方法を、二つの性にわけて造られた、これ自然の理。
生命を生み出すきっかけを、二つの結合によってもたらすという仕組みです。
だれが考えたのだろうかという以前の、自然の摂理、根本なわけです。
この根本に根ざして、そこから言葉を発し、それに伴うイメージを作りだす。
そういうイメージがあって、言葉を紡ぎ出す、このことの循環で、高度な現在です。
未来には、もっと別の領域が確保されていくのですが、現在はそれの兆しを求めます。
生命の歴史というのは、生殖の分析と方法の歴史であって、すべてはそこにある。
思考の回路は、そのことをベースにして、組み立てていかなければ、ならないのす。
求められるのは、人間存在の本質の問題に、踏み入れていこうではないか、ですね。





posted by tansui at 15:17Comment(0)日記

日記180228

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昨日、長次郎という名の寿司屋で、お昼ご飯を食べました。
ランチメニューはピンからキリまであって、これは千円少し超えた盛り合わせ。
食べることばかりで、体重が増え気味で、これでは長生きできないなぁ。
長生きどころか、生きてるけど身体が不自由、なんてことになるのではないか。
そんな不安が、けっこうふつふつとわいてきます。
足の裏が痛む、と思っていたら手の平を押さえると痛い、いずれも左だから。
なにか内蔵で不調な処があるのか、とひとり詮索しているところです。
なるべく強く自分を主張しないようにしている自分があります。
どうしたらいのか、悩むというより、ぐだぐだ、自分の中で問答している。

いったい、何してるんやろ、と我ながら、我のことがよくわからない。
あれから二年、そのはじめからいえば三年、だいぶん過去になりました。
フォトハウス表現研究所&フォトハウス表現塾を、形ある処まで仕上げられた。
あとは、この器に、どうして息を吹き込むか、その段階にきているのですが。
息が吹き込めないで立ち往生しているところです。
4月からワールドカフェを開催しようかと、頭の中に遡上してきています。
テーマを決めないで、写真作品、文学作品などを持ち寄り、共有するのが一つ。
さまざまなことを情報交換するのがその二つ目。
カフェ&プレスとして構想したような内容だけど、これをオーソライズするか。

極彩秘宝館の企画には参加させてもらいます。
まるで現代版シュールリアリズム宣言のときのようにも思える。
目的が霧散してしまった感の表現の現状に、あらたな人間性を吹き込む器ではないか。
性とエロスのことは、かねてより考え、思ってきたわけだから、それを公にしていく。
72才にしてそう思って、名前はペンネームを使いますが、日本の中での発表です。
できれば海外仕様にしたいところですが、これは、これからのことに委ねていきます。
展示用のプリントが出来上がったと中村きょうさんからメッセージがありました。
感謝しています。
posted by tansui at 17:33Comment(0)日記

日記180227

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すっかり春になった感触の風に吹かれて、ふらふらと内なる散歩にでかけます。
からだが春の兆しに開いていくけれど、ふやけた感じがするのは歳のせいでしょう。
年を感じるのは、締らないからです。
なにもかもが締まらない、気持ちも身体も締まらない。
善も悪もあったもんじゃない、フラットな地平に這いつくばっている感じです。
価値観がとろけていく感じがして、目まいがして、クラクラしてくる感じです。
言葉で表現するのが難しいので、イラつくけれど、言葉でしかない表現できない。
写真のイメージなんて言葉があって成立するのだから、やっぱり言葉です。
「淡水の写真と文章」というタイトルにしたのは、フィクションするためです。
でも、めんどくさいなぁ、という気持ちが半分以上あって、立ちすくんでしまう。
もう、いいかぁ、って感じで、クローズしていくのに任せようか。
しゃくだけど、もう、過去のものとして、踏ん切りつけていこうか。

昨日はあなたがお住みになっている界隈まで行ったと思うんです。
あなたが日常的にお通りになっている道路を歩いたと思うんです。
この二年ほどは、その界隈を通過することを避けてきました。
かなり遠いところから、そのへんの界隈を思っていました。
ここを東へいけばその界隈に、ここを西にいけばその界隈に。
ここを北にいけばその界隈だ、そこを南にいったら、会うかもじれない。
同じ街に住んでいるのだから、偶然に、すれ違うかもしれない。
そんな期待のような心を抱きながら、この地にいます。
昨年の春よりこっちは、あなたの居場所がわからなくなりました。
唯一、メールアドレスがありますが、それを使えないまま、ここにいます。

今日は、天神さまへいって、梅の花だよりを試みました。
梅よりも桜の方がわくわくしてきますが、その走りで梅暦です。
一年の花暦、毎年、同じようなことを繰り返しています。
あと、何回、こうして花の季節の始まりを感知できるのでしょうか。
でも、秘宝の分野を明るみに出せるようになったことは、嬉しい。
文とイメージを組み合わせての発表だけど、その名前は「愛日記抄」です。
どこかで、おめにかかれたら、うれしいです。
posted by tansui at 15:44Comment(0)日記

日記180226

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ブログのタイトルをかえました。
文体は、ですます調ですね、やっぱり、だだった調には感覚的に合わない感じです。
それから、少しでも読みやすくするため改行にしていきます。
写真をつけます、今日の写真は、昨日の北野天満宮の梅花祭風景です。
お金を払って入場していないので幕の外から覗き見した風景です。
表題に中川繁夫と実名を冠して書きますが、別の処でペンネームを使います。
80年頃には中山明なんて名前を使ったことがありましたが、最近は内海淡水です。

日記としていますが、毎日書いていけるとは思っていなくて、週に一回くらいかなあ。
出来事が中心ではなくて、思うこと、その記録とでもいえばいいかと思います。
まだブログという記録手段を持たなかったころには、ノートに書きつけていました。
それは喫茶店で書くことが多かったのですが、ブログはパソコンの前です。
家にいて、パソコンに向かって、書いている。
スマートフォンは2015年の9月から使いだして、使い勝手がわからなくて失敗。
で、スマホで日記を書こうと思って、書きだしたが、文字が打てなかった。
なので、ブログを書くのはやめにしていて、インスタグラムで写真を投稿。
この方法に変えました、ところ、インスタグラムが注目されてインスタ映えですね。

この※しるしを区切りに入れることにしました。
少しでも読みやすくするためですが、そもそも読者がいるのか、との問題です。
自問自答で、数人くらいでしょうか、読んでいただける方、それも暇なときに。
ぼく自身が、あまりほかの人の文章を読まないから、ぼくもそのくちですかね。
ただ、興味ある人、あるいは恋心を抱く人の文章は熱心に読みます。
相手のことを知りたいという欲求ですね。
さて、ここまで書いてきて、ここまで読んでいただけるのかな、と思って置きます。
ありがとうございます!リンク先へ行って見てくださいね。
リンク:フォトハウス表現塾のホームページ
posted by tansui at 08:15Comment(0)日記