芸術について-2-

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<絵描きさんのこと>
美術展という会場には、余り行く方ではなくて、たまたま招待券があるとか、無料であるとか、そういうときには見せてもらうことが多いです。ぼくなんかは、美術展をたまに見るレベルで、その厳かに飾られた会場へいきます。とはいいながらも、テレビで日曜美術館を観ますし自室には世界の美術がわかる全集があり、有名どころを集めた日本の画家さんの作品全集なんかもあります。漠然と西洋の絵画史や日本の絵画史などを俯瞰できる知識はあると思っていますが、論を立てるほどに精通しているわけではありません。論を立てるには、それだけの枠組みを知って、その枠組みから逸脱しないようにして、自分の主張を文章にしていかなければならないのではないか、と思うところです。

そういうことではなくて、というところからぼくの論がはじまるわけで、理路整然でないから、わけがわからないと言われてしまうと思います。理にかなったというか、論というからには言葉の組み合わせで、ピラミッドのように、あるいは五重塔のように、積み上げていかないといけない。でも、そうではない方法という方法もあるのではないか、と思う気持ちもあります。一定の方法に従わない、ルールを無視する。それでも、ほかの人に伝わることがあるとしたら、むしろその、伝わることがあるのではないか、と模索するのです。ぼくは日本語しか使えません。それも現代語、そのなかでも限られた生活用語ぐらいで、言葉の羅列で深遠な感情を導き出させるほどには洗練していません。

ごく最近、ある絵描きさんの作品展を見にいきました。激しい感動が起こった、ということではないけれど、なにかしらほのぼのとする気持ちになってきたのです。なになに?、言葉にはならない感嘆詞レベルの言葉しか出てこなくて、そのなかみに触れられないまま、作者さんがおられたので、前に顔見った方だったので、少し会話することができました。ぼくのこころの揺れかたのことです。その方の履歴が貼られていて、そこに<絵描き>と記されていました。ああ、絵を描く人なんだ、と思ってしまう自分がいました。アブストラクトな、幻想的な、イメージを立ち昇らせて描かれているハガキの大きさの絵。水を使ってないという絵具は、クレパスとかでしょう、ぼくにはその名称がわからない素人です。基本には日本画という技法を学ばれたようなのです。(続く)

芸術について-1-

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<はじめに>
正直に申し上げます。ぼくには芸術っていうことがよくわからないんです。世の人々が、なにをもって芸術とお言いになるのか、正直、よくわかりません。わからないから、わかろうと思って、あれやこれたと詮索してみましたけれど、やっぱり霧の中って感じで、明確な姿が見えないんです。皆さんは、どうなんでしょうね、ぼくだけがわからなくて、みんな知ってる。そうかも知れないし、そうでないかも知れませんね。なので、ぼくは、ここで、あらためて、芸術とはなにか、という問題を、ぼく自身に提出します。ぼくは、ああでもない、こうでもない、たぶん、右往左往しながら、答えていこうとします。いまどき、そんなこと考える奴はアホや、と言った友がいたけど、アホでもいい、時代遅れでもいい、とにかくぼくの気持ちが晴れないのです。

芸術ってなに、こういう問いかけは、どういう範疇に分類されるのでしょう。基礎演習でしょうか、たとえば法とはなにか、文学とはなにか、音楽とはなにか、なんていう問いかけの上位に蓋然としてある根本的な問なのでしょうか。目論見としては、螺旋階段を降りていくようなイメージで、次第に個別の問題に及んでいきたいと思っています。個別の問題に及んで、そこで、ああでもない、こうでもない、やっぱりわからなくなるのかも。断定すればいいのだ、と思う。過去に誰かが言ったそのことをベースにして、断定する。それはそれでいいかもしれないけれど、それは矮小化された結論ではないかと思えます。新しい時代の感覚で、新しい枠組みが作れないか、と思うわけです。

芸術作品、って呼ばれる目に見える物があるじゃないですか。たとえば絵画、彫塑、陶器とか。具体的には、モナリザとか、ミロのビーナスとか、あの茶器はなんだったっけ、有名なお茶碗。でも、なぜ、それが、芸術作品って言われているのか、その言われを問い詰めていきたいと思うのです。玉ねぎの皮を剥がしていったら何が残る、その要領で、芸術という物の皮を一枚づつ剥がしていく作業をやりたいと思うところ、そんなことできるのか。これはけっこうフェティッシュな、あるいはエロティックな、ヒトの心の奥をみつめ、あぶり出す、そういうキワモノなのかも知れない、と思ったりします。外観はどうでもよい、内側、内面、その無意識レベルの奥があぶり出せないか、そのようにも思うところです。