桜の季節-5-

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毎年のことながら、桜は咲きだす便りを見聞きすると浮足立ってきます。
そわそわ、落ち着きが無くなって、花見気分に浮かれ出します。
ぼくは酒を飲まないから、飲食しながら花見する、という癖は持っていません。
でも、浮き立ってくるんですね、不思議ですね、気分が高揚してくる。
この歳になって、気づいたんですが、からだの内側がムズムズしてくるんだ。
生殖の兆しが、体内にあらわれてきて、顕在化してくるんだ。
そのもぞもぞの、うごめき感が、気分を高揚させるんですね。
人間は年中が発情期だといいますが、動物的には春が発情期ですね。
そのせいで、桜の季節って、こころがかき乱され、浮足立ってくるんですね。
5月の牡丹の頃は、こころは熟れ切っていて、発情の真っ最中なんでしょう。
なにかしら、生き物の原点を、想像しながら、桜の花を見ています。
(桜の季節おわり)

桜の季節-4-

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 例年よりも桜の開花が早かったのですね。それと桜の開花は日本列島北上していくんですね。桜の話題は、何かと話題になる、話題です。というのも桜の話とかイメージは、日本国民の意識レベルで、生活レベルで美意識につながっていると思うんです。小説家が桜を素材に、小説の風景として書く。坂口安吾とか、谷崎潤一郎とか、ほかにも多々あると思います。日本画の世界でも、東山魁夷とか、あげだしたらきりがないほどいらっしゃいますね。写真も、桜を素材に撮って、表現された作品を見ます。東松照明が桜を撮って、写真集にされています。そうなのですね、芸術の各表現のなかで、各ジャンルの作家が、桜をテーマにして、素材にして、われわれの意識に刻み込んできます。

 ぼくも桜の取材は、1980年代から、その季節になると、浮足立って撮影に入ります。新しい切り口でイメージを構成しようと思って取り組みますが、なかなか難しいです。難しいといえば、技術的な難しさと表現する意図を明確にするという難しさの両方があります。どこまでいっても際限なく奥が深いと感じています。この記事のトップにあげた写真は、昨日、4月2日の午前中、京都の千本えんま堂に咲く関山桜です。千本えんま堂といえば「えんま堂普賢象桜」が固有種としてありますが、まだ蕾でした。文化の中にある桜を、文化をバックヤードとして撮る、このことに想いをはせています。思想的には「考察する」とかの言い方が適当なのでしょうが、ぼくはそれほどの学術家ではないので、散文的に感想をつける、程度でいいんだと思っているところです。

桜の季節-3-

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 今年は、スマートフォンで桜の風景を撮っています。作画というか絵作りは、なるべく奇を衒わないように、突拍子もなく変わったことをしなくて、日本画の構図とか、それに類似の絵画とか、その風味をスマホで出せないかと試みているところです。
 スマホといっても、アップルのiPhoneを使っていたけれど、一年半前からグーグルのアンドロイドに変えています。機種はソニーのエクスペリア、そこに入っているカメラを使って撮っています。正方形で作るイメージは、インスタグラムにアップする画像で、ライブでアップしています。現場で撮って加工してそこからアップしています。このライブで静止画という方法を、あえて採用しています。
 そのほか長方形で黒縁しているのは、数時間から数日遅れで、ブログにアップします。ツイッター、facebookに連動させているので、ブログに載せた記事が、facebookで見れるようにしているのです。でも、これだとFacebookつながりの人にはあまり配信されないようなので、facebookへ記事をアップするという方法も混在させています。
 そんなこんなで、桜のある風景を求めて、名所古刹、神社仏閣を訪ねて、桜のある風景を撮ってアップしています。スマホで撮った静止画には、場所を載せられるので表題の補助となり、画像が桜だけで場所を特定する風物をいれなくても成り立つので、スマホでは、位置情報も作品の一部として、信憑性を保持しようと考えています。スマホで撮る静止画が、作品として成立するように、と考えているところです。

桜の季節

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 今年は桜の開花が早いので、まだ三月が一週間あるというのに、満開になっています。毎年、桜の季節になって、桜の開花が伝えられると、こころが浮き立ってきます。陽気との関係もあるのかと思いますが、こころが浮き立つ、もぞもぞとからだが蠢いてくる感覚になるのです。花といえば桜のことのようで、パッと咲いてパッと散る、これが武士道だというのだけれど、ぼくにはどうもそぐわない感じです。もっともぞもぞ、ぐずぐず、うごめいている感じで生きている気がします。それでも、ここ十年、桜の季節には桜を撮ります。見返してみると、その都度、撮り方が変わってきています。今年はスマホで撮っています。スマホといっても、エクスペリアという機種で、ソニーが製造している機種で、たぶんそこについているカメラ機能も、この機種に作られたやつだと思います。オートでストレートに撮って、パンチにして黒枠つけて露出とコントラストをつけて、保存します。おおむねこの保存した画像が、ここに載せたようなイメージに仕上がるのです。インスタグラムのカメラで撮るときは、その場で編集してライブ発信します。ライブで発信する、ということにこだわっています。いまは静止画ですが、動画がスムーズにアップできれば、動画を使う、これは制作態度というやつで、撮る場所、ライブ、そこに自分という生命体が介在している、ということの存在感を表しているのだと、思っています。即時性、ライブ感覚、共有、そんな感覚で世界とつながっている、そう感じることで、自分が安定する気分になっていきます。同行してくれるヒトが欲しくって、同行していただいて、親密感を抱いて、夢の中、ロマンリアリズムに浸っています。春の嵐、読み出しました。

ロマンリアリズム

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ロマンリアリズム宣言
もしくはローマンレアリスム宣言
2018年3月11日 淡水

春の気配になにやらうようよ蠢いてくるものがある。
皮膚のうちがわの血が騒ぐ、あるいは潮が満ちてくる。
これは初源の蠢きといっていい。
豊かな感情、正確な描写、芸術の原点、<これ>を求めよう。

時代の風潮はいまや内面の時代だ。
体の内部の情なるものを表に出そう。
豊かなる感情と感覚を求めるプロセスとして。
新しい文学と表象を我の内部から紡ぎ出せ。

もっと本質本音を表現として掘り下げようというのだ。
これは論外に置いている領域を論内に取り戻せ運動だ。
表現の根源は生の根源、性の痕跡を表に現わすこと。
新しい潮流がいま始まっていく宣言をここに発する。

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