花の季節-3-

桜五態
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花の季節-2-

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内海淡水<はな>と<小説>です
桜が終わるか終わらないかの頃から野に山に花が咲きだします。
これはミツバツツジ、自然に生えていたのを移植したものです。
小さかった苗がそこそこに大きくなって今年の冬には雪で折れました。
残った枝についていた花芽が、太陽のもとに開いたというわけです。
こちらは年々年老いていくわけだから、花が咲くとうれしいです。
今年も見られたという感動もさることながら、老いを感覚で隠せるように思う。

花からイメージされる世界観の話ですが、ぼくはシュールな感覚派だと思えます。
空想の世界から自然主義を導いた芸術ですが、20世紀になってシュールリアリズムです。
超現実主義といえる表現の枠組みですが、主体は人間の、精神、本質、といったもの。
肉体のなりわいで意識が活性化する、脳機能を刺激する、そのためのエロティシズム。
エロというと、この文化の中ではイヤらしい感情で、排除されそうな領域ですが。
しかし、表現の歴史を俯瞰してみると、いつもこの領域を確保してきたのが芸術です。

この世界では、表と裏とか、あっちとこっちとか、ノーマルとアダルトとか、分類します。
その境界線をめぐって、いつも権力構図の中で、解放を求める側と抑圧をかけてくる側。
そういう二極構造があって、国や地域によって、その濃淡がはなはだしいわけです。
芸術的興味というより、ひとが興味をもつ本質が、セックスの内容だと思えます。
いま、新たな表現として、ますますセクシュアルな表現が顕著になってきています。
なにより、ネットの中、ヴァーチャルな領域において、いっそう顕著になっています。

花の季節-1-

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内海淡水<はな>と<小説>です
花の季節とゆうカテゴリーを作って、写真と文章を記して、残しておこうと思っています。
文体は、です、ます調で書いていく方が柔らかい感じがして書きやすいので、それにします。
内容が問題なのですが、そんなに公序良俗っていうんですかね、それに逆らわないようにします。
ここはR-18ではなくて、ノーマルなところですが、この区分というのも眉唾モノですね。
花は、ボケの花、真っ赤というか深い赤です。
花の写真と文章のホームページを作っていますが、小説はノーマル分野だと思っています。
アダルトサイトって言ってるところは、セクシュアルな内容の文章や画像が載せられますが。
ここでは、それは、していません。

花は桜から始まり牡丹が間もなく咲きだします。
最近は、頭がとろけてきてるのか、花の名前が思い出せないのですよ。
イメージと言葉の関連でゆうと、花の名前って、言葉との関連が少ないように思います。
しょっちゅう使っているイメージと言葉の関係なら、案外すらすら出てくるんですけど。
老化という奴ですよね、多分にもれず、それを自覚しないといけないんですね。
自分で自分をおもうほど、他者の目は、若くは見られrてなくてそれ相応の老人ですね。
もう、ここまで来てしまって、と言ったら、もっと先輩は、まだまだ若い、とおっしゃいます。
年齢を重ねるとともに、羞恥心とか、奥ゆかしさとか、そういう風雅な美意識が、減退します。

花は目立ちます。
山野草や樹木でさえ、花が咲くと、目立ちます。
花が咲いている時だけ、注目されるのが植物群のようです。
これは比喩で、人間とて花の時期があるんだと思えます。
でも、花が咲いていなくても、根を張って、花にまで成育させる土壌を作らなくちゃ。
現代表現研究所を主宰しだして、その仕事は、この土壌つくりだと思っています。
それにしても、いまや、ぼくに残された時間は、そんなに多くはないと思っています。
それを継承していける枠組みが出来てくれば、それでいいと思うところですが、さてさて。